「日本書紀」、「源氏物語」など様々な文献にも登場し、
聖徳太子が訪れたといわれている道後温泉には
およそ3000年の歴史があり、兵庫の有馬温泉、
和歌山の白浜温泉と並ぶ日本三古湯の一つです。
現在の道後温泉本館は、道後初代町長であった伊佐庭如矢により、
明治27年(1894年)に総工費13万5千円(当時)をかけて改築されました。
莫大な資金をかけての事業なだけに町の内外から反対意見も噴出し、
命の危険にさらされることもありましたが、100年たっても誇れる、
真似のできないものを作るという初志貫徹のもと
町民を納得させてこの偉業を成し遂げました。
木造三層楼の建物はその後増改築を繰り返し、
築100年を迎えた平成6年には国の重要文化財の指定を受けました。
また、フランス・ミシュラン社が発行した
「ミシュラングリーンガイドジャポン」では
最高位の三ツ星の評価をいただき、
国内だけでなく海外からも高く評価されています。
白鷺伝説
白鷺の伝説は、足に傷を負い苦しんでいた一羽の白鷺が岩間から噴出する温泉を見つけ、毎日飛んできてその中に足を浸していたところ、傷は完全に癒えてしまい、元気に飛び去ったというものです。これを見た人たちは大変不思議に思い、入浴してみると、爽快で疲労を回復することもでき、また、病人もいつのまにか全快したことから、盛んに利用されるようになりました。この鷺谷という場所は、今の道後温泉にほど近い地であったといわれ、後世の人たちがこの伝説を記念するために、鷺石という石をここに置きました(現在は道後温泉駅前の放生園に移設・保存されています)。この白鷺の伝説から、道後温泉本館の屋根の上や本館まわりの柵など、あらゆる部分に白鷺の意匠が使われています。
玉の石の伝説
昔、大国主命(おおくにぬしのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)が伊予の国を訪れたとき、病気になった少彦名命を道後の湯に浸ひたしたところ、たちまち元気になり「ましましいねたるかも(しばらく寝ていたようだ)」と叫さけんで、玉の石の上で舞ったといわれています。その石が道後温泉本館の北側に祀られています。
湯之町道後では、安政元年(1854年)の地震で温泉のわき出しが止まり困っていたところ、翌安政2年2月22日に再び湯がわき出したので人々は大きく喜び、この日をもって湯の神に感謝する湯祈祷をすることになったといいます。
今では道後の春の風物詩として湯神社における神事、源泉祭・湯祈祷祭・献湯祭の神事を皮きりに毎年3月19日〜(昨年は5日間)「温泉まつり」が開催されます。長寿餅つきや伝統芸能大会、道後温泉おどりなど期間中は趣向を凝らした出し物やパレードなどで道後の町が華やぎます。